Heart



週に一度は自分の心の声を聞いてあげましょう。
それから、友人の心の声を聞いてあげましょう。

そこに、共感が生まれます。

[pure heart]素直な気持ちで。


感想はこちらまでお願いします。


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Episode36



「時間軸と空間軸」


あなたの 一挙手一投足に
一喜一憂する自分がいる

電脳の狭間で かすかな光が 揺れ動いていた
強くあろうとする健気さが 胸に突き刺さった

あなたが悲しみで顔を曇らせた理由は知らない
うだるような熱帯夜の中 想いを馳せる

時間軸と空間軸を 飛び越えてしまえたなら…

「わたしは あなたの味方」

どうにかできることなら どうにかするだろう
どうにもできないことだと 分かっていても…

ただ どうしようもなく
切ないほどに もどかしい…



もどかしいともえているうちが花なのか・・・してその結末はどないやねん・・・





Episode35


「まともな人に会いたくて」


いつからか
これほど寂しがり屋だということを
今まで 気付かずに過ごしてきた

「人に迷惑を掛けちゃアカン」
幼少期から両親に諭され続けた 呪いの言葉

人は呼吸をするだけで迷惑だ
迷惑を掛けたくないのならば 呼吸を止めるべきだ

甲斐や 覇気は 一時の気休めに過ぎない
ただ その気休め欲しさに 一喜一憂する
何とも 非理論的で 不条理で 不合理な世界

ただ 魂のバイブレーションを感じたいだけ
ただ 刹那の上機嫌に酔いしれたいだけ

久し振りにまともな人と会話した
それだけで 十分幸せを感じた

何とも 非理論的で 不条理で 不合理な世界
ただ 一石を投じるために
ただ 己の義を貫くために

俺は 変わり者のレッテルを
敢えて まとい続けよう
笑いたい奴は 笑えばいいさ
そいつらの役には十分立ってるさ(笑)



いつになれば本当の俺を見出してくれる奴に出会うのだろう?
いつになったら俺の本質を理解してくれる奴と出会えるのであろうか?
多分自分がもっともっと大らかに心を開放しなくちゃいけないんだろう。
let's try!


Episode34



「字sん「役回り」


人生山あり谷あり
現在 谷にいる自分にとって酷な役回りが巡ってきた

引導を渡す

クライアントのリクエストに応えられない優秀ではない男を切らねばならない

本質的には その男の人生の流れなど
微塵も関係ないのだから 憂う要素はひとつもないはずだ

にも関わらず 息苦しく感じるのは 何故だろう。。。

相対的に考えれば 双方のベクトルは正論に間違いない
本音を吐けば 自分のポジションとしてどちらにも肩入れできない 否 したくない状況だといえる
ただ 仰せつかった役回りは どこからどうみても悪役

他人の人生に変化をもたらす役回りは
今の自分には 正直 向いていない
「俺は何様よ?」
そんなクエスチョンが駆け巡る

だが その悪役を演じなければならない
人事部長がリストラを言い渡すときの心境とは。。。?

悪役を演じたとき その答えがみつかるのかも知れない
ほんまに酷な話やけどそれが現実。



日々環境は変化するのだ!
その変化についてこれないことは自分自身の怠惰なのだから。世の中は厳しいのである。




Episode33


「人の話を聞かない人の話
人の話を聞かない人の傾向としてよく聞かれる会話のキッカケとして
「ねぇ、知ってる?」
が挙げられる。

また「なるほど」もなかなかどうして曲者だ。
「へ〜」よりは幾分響きもよく相手に対する印象としても、それほど悪い印象を与えないようなワードであるため多用されるが、そのくせ実はひとつも納得していない。

「へ〜、そーなんだー」
「なるほどねぃ〜」
まったくもって受け入れるキャパシティの微塵もない。

「ねぇ、知ってる?」
とは、まず第一に興味の矛先をこちら側に向けることが主体であり、また、相手よりも勝った知識があることを誇示せんがための布石であり、自己顕示欲が強いことが窺える。

「ねぇ、知ってる?」
「知らない」
「や、でもさ。知ってる?」

などと追い打ちを掛けてきた場合、その勢いは更に拍車が掛かる。
損得勘定の類まで持ち出す勢いだ。
「知っといて損ないと思うんだけどなぁ〜」

「そんなことよりさぁ〜」なども代表選手に挙げられるだろう。
まず、相手の話の内容を打ち消すことからスタートするわけだから、最初から相手の話など眼中にないことになる。
これは営業トークでいうところの「Yes, but話法」に通ずるものがある。

「なるほど。あなたのおっしゃることは十分理解できます。でも…」
分かっとらんやんけ! みたいな…(笑)

「てゆーか」なども有力候補だ。
これは相手の話の内容を要約しようと自分が折れているように見せかけ、実は自分自身の術中に嵌めようと狡猾かつ卑劣な話術といえる。

「うん、うん。分かる、分かる。てゆーか、それはさぁ…」
こっちの話一個も聞いとらんやんけ! みたいな…(苦笑)

「巧みな話術」というものが存在するが、コミュニケーションの要としてボキャブラリが多いということは、かなりの強みになると考えられる。

同じ事を表現するのに、いくつの語彙を以てして表現し得るのかということに繋がるわけであり、説得力と信憑性を高める要素のひとつだとも考えられる。

そんなことより、知ってる?
てゆーか、どないやねん!?
へ〜、なるほどねぃ〜(爆)



おもろいでほんま!くせってのもあるんやろうけどな〜〜!





Episode32


「一つのコミュニティ」



インターネットの世界に、「グローバル・リッチ・リスト」と称するサイトがあります。

自分の年収を入力すると、自分が、いま、世界の63億人の中で、何番目に裕福な人間かを教えてくれるサイトです。

そして、このサイトは、もし、年収4万ドルを入力するならば、それが、現在の地球に生きる人々の中で、上から3パーセント以内の豊かな人間であることを教えてくれます。

この「リッチ・リスト」のメッセージの意味を考えるとき、インターネットの電子メールとして世界中に広がったもう一つのメッセージを、思い出します。

「世界がもし100人の村だったら」  このメールが教えてくれたのは、地球という村では、20人が、十分な食事を取れず、30人が、安全な水を飲むことができないという現実でした。

そして、25人は、まともな家に住めず、30人が、文字を読めないという事実でした。

「リッチ・リスト」と「100人の村」

いま、インターネットが世界中に伝えている これらのメッセージの意味を考えるとき、それが、地球というコミュニティに生きる我々の心に、大切な意識を育んでいることに気がつきます。

我々は、一つ。

インターネットというメディアは、ときに、いかなる宗教よりも、深く、静かに、その意識を育んでいくのかもしれません。


ほんまにそうですな〜〜〜自分のおかれている立場がいかに幸せであるか!再認識させられますわ!
景気悪い景気悪いといっているあなた!めしくえてまっしゃろ?車のってまっしゃろ?ふろはいってまっしゃろ?
それでも・・・・・・・・


Episode31



「再生」



月並みな言葉だが「人生山あり谷あり」といわれる。

平坦な道は兎にも角にも味気ない。そして、他に何らの影響も及ぼさない。
これまでの自分の半生を顧みたとき、大いに起伏に富んでいた。

今、自分の置かれているポジションは間違いなく「谷」。しかも、深い渓谷。
何があろうと堪え忍ばねばならない時期だ。

「娑婆」とは、堪忍の世界。
「堪忍」とは、「ならぬ堪忍するが誠の堪忍」。
はらわたが煮えくりかえろうが、堪え忍ばねばならない。
満たされぬジレンマを咆吼すれば、負け犬の遠吠えと一笑にふされるだけだ。

谷の時期に、さらに谷底へと突き落とされる絶望感。疎外感。孤立感。
前途に明るい光を見出せない者は、ワラにすらすがろうとはしない。

人は、限りなく弱いものだ。だが、すべからく強くあるべきだ。
自分の中に弱さ強さを見出し、強くあろうとする姿勢が美しいのだ。

己の義に忠実であるということには切なさがつきまとう。

10年という歳月を費やしてもなお想いが伝わらなかったように。
その歯がゆさや辛さが分かるといった者にも裏切られたように。
自分の真意・本意などは他人にとって何も意味を成さないのだ。
ただ、そういった要素に、恨み辛みは微塵もない。
マイナスを知り得ただけで十分にプラスだ。

己の義が、陳腐でみすぼらしいものにしか感じられなくなった矢先に、
自暴自棄からか、自虐的行為からか、頭蓋を骨折し、生死を彷徨った。
何故、こちらの世界で生存することを望まれたのか…

あちらの世界が受け取り拒否したのには何か理由があるのだろう。
やり残したこと、などという大層なものではない。
「やらねばならない何か」が残っているのだ。

堪忍の世界で自分は何を成すべきか?

脈打つ生きたほむらがジリジリと内側を焼き焦がす。
バーボンを寝かすオーク樽の内側が焼き焦がされているように。
熟成したときに馥郁とした芳醇なフレーバーを放つように。

再生には時間が掛かるものだ。
気長にじっくりと焦燥を楽しみたい。


ほんまに人生っちゅうもんはいろいろありまんな〜〜〜!でもしってはりますか?ピンチのときこそチャンスや!っちゅうことを!
要は発想の転換っちゅうやつですわ・・・・・・・・・・・・ふがぁ〜〜〜


Episode30



「努力」という幻想」



 昔、あるテレビドラマで見たお母さんと子供の微笑ましい会話が心に残っています。

 勉強をしない子供に対して、「どうして、もっと勉強しようと努力しないの」と聞く母親に、子供が答えます。

 「うん、だから、努力しようと努力しているんだけれど」

おもわず微笑んでしまうこの子供の言葉を聞くとき、我々は、「努力」という言葉が、極めて精神的な言葉であり、自己幻想に陥りやすい言葉であることに気がつきます。

なぜなら、仕事で壁に突き当たっている人に 「あなたは、努力をしていますか」と聞くならば、

 「ええ、自分なりに、精一杯の努力はしています」と、多くの人が答えるからです。

 誰でも、精神的には、努力している。

 しかし、具体的には、成果が出ない。

 そのことを考えるとき、ふと、不思議なことに気がつきます。

 一流のプロフェッショナルは、精神的な「努力」という言葉をあまり使わない。

 そのことに気がつきます。

 では、彼らは、どのような言葉を使うのか。

具体的な「工夫」

それが、プロフェッショナルの世界において、「努力」を意味する言葉なのでしょう。



ほんまやね!工夫なき人生ほどつまらんもんわねーーーー!ふがぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



Episode29



Be believe

信じるか、信じないか。
あるいは、信じられるか、信じられないか。
深い意味合いはさておき、よく耳にし、日頃から疑問に感じていた言葉だ。

例えば「心霊現象」。
平たく、オバケなどの類。
これについて「信じるか、信じないか」が持ち出される場合がある。
人それぞれ選択肢は変わろうが、自分としては「信じる」に相当する。

または「血液型」。
診断や相性。
あるいは、占いなどだが、これについても同様のケースがある。
自分としては、オバケと同様「信じる」に該当する。

なぜ、自分がこれらに疑問を感じていたかというと、
概念として存在するモノに対して、なぜ「信じるか、信じないか」の二者択一が質問として発せられるのだろう?
的なことからだ。

オバケを見た、見ないという情報を受けながら、
あるいは、血液型診断は当たっている、当たっていないという情報を受けながら、
なぜ「信じるか、信じないか」の二者択一が浮かぶのか?
皆目、見当が付かない。

多分、信じるモノの対象がぼやけている人の質問のような気がする。

自分を取り囲む情報群は、ウソや偽りが入り交じっている。
逆に、正しい情報の方が少ないかも知れない。
その中から、正しい情報だけを自分自身で取捨選択せよ、などとお為おかしいことはいわない。
ただ、自分自身の見聞は紛れもなくすべて事実である、ということだけを胸に刻みたい。

偶像崇拝や宗教なども同様の二者択一を迫るが、的外れな問いだと感じる。
一般として、アイドルに恋心を寄せ、信じていても願いが叶わないように…
特例を除くが、神仏に祈りを捧げ、信じていても救われないように…
「あるか、ないか」が適当だと感じる。
当然、自分は「ある」派だ。

「信じる、信じない」の対象は、「人」に対してだけだ。
現実に呼吸をし、意思疎通の図れる相手でなくては、「信じる、信じない」の対象にはなり得ないと考えるからだ。

いずれにしても、「信じる、信じない」には「裏切り」が付き物だ。
過度な期待が招く結果とも言えなくもないが、確実な要素として存在する。

「信じる、信じない」の過渡期を経て、やがて、「裏切るか、裏切らないか」の二者択一が生まれる。
非常に悩ましい問題でもある。

悲しいかな「両方ともあり得る」というのが正論だろう。
しかし、正論で人は動かない。だから、自分は敢えて答えよう。
「裏切らない」と。


…と、こういった口上は「口説いてる」ゆーのかしら?
よし、さっそく試しちゃお(^o^)/☆
うがぁ・・・・・・





Episode28

仕事と自分らしさと。。。。

俺って何の為に仕事してるの
生きるため?遊ぶため?みんな働いてるから?
なんて、、、

ふと考えてみる・・・・

さあね!俺にとって仕事ってなに?

数日前インテリアデザイナーの片山正道がNHKに出演していた
やつも38歳。。自分探しを続けて現在東京で注目されてる人物だ!
彼の仕事を受ける3つのじょうけんってのが、、実にかっこいい

1)自分なりにアイデアを出せるか
2)直接クライアントと話ができるか
3)自分の名前を前面におしだせるのか

おいおいしぶいじゃね〜〜か!おめえ!そういうカッチだって38歳でおまえと同い年なんだぜ。。。
結構好き放題の人生を送っているがまだまだおまえみたいに注目はされていないんだよね・・・・・・
何故かまだくすぶってるんだよね。。。

俺の仕事を受ける条件。
俺がしたいかしたくないか!

ただこれだけ。。。
儲けなんてどうでもええねん!
ぶっちゃけしたいことをしたいんや!
でないと俺の生きてる意味がねえ!
飲んだらよく言うんだけど人生いちどきりじゃね〜か!楽しもうじゃね〜〜か!思いっきりよ〜〜!

おかげで最近は色んなところからお呼びがかかるようになってきた。。。これも俺の流れの中で。。。
俺にしかできないことをただやるだけ。。。

他の誰にもできない俺にしかできないことを。。。
人生一度きり!仕事は自分の生きかたの表現の場だと思うね。。。


なんちゃってね!ばっかじゃね〜〜の!っていわれそうだけども、、、まあかまへんか。。。。
k@tti的俺流





Episode27



リーダーの言葉


 リーダーにとって、言葉の力とは何か。

 そのことを考えるとき、 一人の経営者の姿を思い出します。

 ある企業の新年の年賀交換会でのことです。

 その企業は、長引く不況の中で、苦しい経営が続き、全社員が、暗い気持ちで新年を迎えていました。
 その年頭の社長の挨拶。
 誰もが、厳しい話を聞かされると覚悟していると、その経営者は、演壇に登るや、何を言ったか。


 諸君! 今年も愉快にやろうじゃないか!


 大声で、その一言を語ると、高笑いをしながら、演壇を降りていきました。

 一瞬、唖然とする社員。
 しかし、すぐに湧き上がる笑い声。

 その経営者は、ただ一言で、全社員の心を掴み、その場の空気を変えてしまったのです。

 何十年か前に拝見したこの経営者の姿を思い出すとき、一つの言葉が、心に浮かびます。


 「胆力」*


 それは、現代のリーダーが忘れてしまった懐かしい言葉なのかもしれません。




確かにそういう親父が減ったな〜〜!でもこの前、中條先生の講演には感銘を受けたで!すごいよ実際!
俺もそういう言葉を発せられるようにならんとな・・・・・・
「 誠心誠意!熱くいきようじゃね〜〜か! 」


たんりょく 【胆力 物事に簡単に驚いたり恐れたりしない気力。度胸。
「―のある人」


Episode26


Experience is property
「アニキは男にゃキビシイのに、なんで女にゃ甘いわけ?」
弟分が出し抜けに訊いてきた。鼻の頭をかきながら苦笑した。

「だって可笑しいじゃんよぉ。そりゃ女ァ付け上がるって…」

病み上がりだというのに手厳しい…
「や。女の子のわがままなんてカワイイもんだって。目くじら立てるほどのことじゃねえよ」
「ま。分かるけどさぁ…」
「俺は男の前でのほうがカッコつけてる思うで、実際」
「それも分かるような気がする」
「上下関係だとかウザイもんがあったりするやろ? もーそれだけでフラットじゃいらんなくなる。その点、女の子といるときは気楽でいいよ」
「…」
「俺はたいがい何でも許しちゃう。浮気だの何だの… 普通の奴だったら怒り狂うようなことでも、全然平気だな」

弟分は黙って頷いていた。

「でも、これってのは『俺のことも全部許せよ』ってゆープレッシャーでもあるんだろうな」

「口に出さないからなおタチ悪い…(笑)」と。
弟分も苦笑を浮かべた。


本気になるのが恐いのだと思う。
幾度となく本気になった者が目の前から離れて行った。
手からすり抜けてゆくように、掴みかけたものを失うことが恐いのだ。
あるいは、掴んだと錯覚してしまうことがおこがましいとすら感じてしまう。

本気になればなるほど空回りしているようで、自分自身が腹立たしい。
だから、適当に。上辺で付き合ってあしらっているわけではない。
自分が傷つく以前に、相手のことを考えてしまうのだ。
『こんな俺と関わって悩む必要はないよ』と。


「それに相手にする子が若いって。若い子がいいの?」
なおも詰め寄る弟分。
「アニキの考えは若い子にゃ伝わらんって」
「や。相手にしてるつもりはねえよ。向こうが勝手に来るんだからしょーがねえじゃねえかよ…」
「よく言うよ! 絶対アニキのほうから行ってるよ!」
「そー見える?」
「ああ! そーゆー風にしか見えない!」
何だかすごい剣幕に圧倒されそうだ。

「考え過ぎだって、それは。それにトシなんて関係ねえだろ? トシ相応以上にツライ経験だってしてたりするよ、彼女らも。俺はそれが分からないわけじゃないって思いたいんだろうな」
「ふ〜ん…」
「ま。優しさをはき違えてるトコあんのも否めねえけどな(苦笑)」


『雨降って地固まる』のことわざの真偽のほどは定かではない。
ただ、ひとつの障害を乗り越えられないのであれば、それまでだ。
先はない、と。そんな風に考える。

トライアル版よろしくお試し期間ゆーのってないかしら?(笑)
結局、深みにはまって痛い思いするの自分なんですけど…

ま。相手がハッピーなら問題ナッシング♪
「経験は財産」。何かに活かされれば、それで構わないね。


財産ね〜〜〜実際財産ってなんなんだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!おいおい




Episode25


 漕ぎ続ける日々

 昔、山登りをしていた頃を思い出します。

 暑い夏の日、登山道の入り口から見上げると、入道雲を背に、山の頂が遠く輝き、聳え立っている。
 何日か後には、その頂に立っている自分の姿を思い、その目標に向かって、一歩を踏み出す。

 しかし、まもなく、道の周りは森に囲まれ、その頂は視界から消えてしまう。
 気がつけば、狭い山道を、重い荷物を背負い、汗にまみれ、ひたすらに登り続けていく。
 ときに、道の険しさと荷物の重さに、足が止まり、暑さと渇きに、涼しい街の店を、恋しく思い出す。

 それでも、目の前の道を見つめながら、そして、心に刻んだ山の頂を思いながら、
 一歩一歩、
 ただ、一歩一歩、
 足を前に運んでいく。

 いま振り返れば、それは、山登りという営みを超えた、大切なことを学んでいた時代。

 そんな時代であったのかもしれません。

 しかし、その大切なことを学ぶのは、決して、山登りだけではない。

 そのことを教えてくれたのは、波乗りの世界の伝説的サーファー、ジェリー・ロペスの言葉です。


 Keep Paddling.(漕ぎ続けよ)


 一日、海にいて、波に乗っている時間は、数十分。

 彼らもまた、漕ぎ続け、素晴らしい波がやってくる一瞬を待っている。


k@ttiも必死で漕ぎ続けてるっちゅうねん!マジで!


Episode24

 「知識」という風船


 これから到来する「知識社会」において、「知識」を学ぶことの意味は、何か。

 そのことを考えるとき、一つの言葉を思い起こします。

 「知識」とは、風船に似ている。

 「知識」が増えれば増えるほど、「未知」と接する表面も大きくなり、「世界の謎」も増えていく。


 もし、この言葉が真実であるならば、「知識」を学ぶということは、世界が投げかける無数の謎の前にたたずみ、「知性」というものの奥にあるべき謙虚さを身につけることなのでしょう。

 しかし、それにもかかわらず、我々は、知識を学べば学ぶほど、その謙虚さを失ってしまう。

 それは、なぜか。

 そのことを考えるとき、一つの言葉が、心に浮かびます。


 「知識」という武器。


 知識資本主義の時代。
 知識社会での競争戦略。
 そうした言葉の洪水の中で、我々は、知識というものを、他人との競争に勝つための武器であると考えてしまう。

 それは、もしかすると、この時代の病なのかもしれません。

 そして、我々人類にとっての本当の「知識社会」は、その病を超えたところに、到来するのかもしれません。


もしかしておれは病をだっしているんちゃうん?そんな気がするのは気のせいかしら。。。フフ




Episode23

「日常とは奇蹟の連続である」


当たり前のことは当たり前ではないのだ。
普段から生き死にを念頭に行動している自分にとって、まさしく、その狭間で揺れ動いていたのだ。

その中で一番よく出てきた議題は「人間関係」だった。
自分自身、価値観が一様でない他人同士が犇めく以上、信じた者には裏切られ、あるいは信じた者を裏切り、ひどく弱く、希薄で儚いものだということを誰よりも知っているつもりだ。

他人とは、国語的な意味合いではなく、血縁云々でもない。「他の人格」。
自分以外の人間はすべて「他人」という意味だ。

他人には自分の本意・真意は決して伝わらない。
本人ですら、その都度の感情で流転する、本意・真意を理解できないわけであり、他人が知り得る余地があるはずがないのだ。

だが、自分の中では決して揺るがないものに気付かされた。
それは、「魂の交流」である。
これに虚飾や美辞麗句は一切必要ない。
言葉の額面上の意味やTPOなども、まるで無関係だ。
「何を喋くろうが、何を綴ろうが、何を創ろうが、何を感じるか?」
この一点に尽きる。感じるのは他人を含め、自分自身でもある。

魂の器である体躯。
これが著しく損傷した場合、本意・真意は消し飛ぶ。
五感を駆使することも儘成らず、表現の方法手段をも失うからだ。

身体髪膚 これを父母に受く
あえて毀傷せざるは…

反省はするが、後悔はしない。
生きている以上、有益で無駄な時間を浪費するだけだ。



ぶっちゃけ!May be?



Episode22
 

[

「偉大なる起源」


思いや感情からどこまでも自由な魂には虎ですら鋭い爪を食いこませることはできない

同じひとつのそよ風が山上の松と谷間の樫の木のあいだを通り抜ける。。。。それなのになぜ違う音をたてるのか?

考えることも、振り返ることもない完全な無
しかしそこでもなにかが動きその道をすすんでゆく

目にはできても

誰も決して手に取ることはできない-----小川に映る月を

雲と霧は大気が貌を変えたものにすぎずその上では太陽と月がとこしえに輝いている

勝利は闘いのはじまる前から自分をまったく無にした者のためにある

「偉大なる起源」の無心さのなかで

李振藩語録より〜


このHEARTにいるときはk@ttiは無心やで。ほんま




Episode21
 


「宇宙の始まり」


 現代科学の最先端、量子物理学において、宇宙誕生の謎が、解き明かされつつあります。

 137億年前、この宇宙は存在しなかった。
 では、そこには何があったか。

 「真空」があった。

 その「真空」が、あるとき、ゆらぎと相転移を生じ、その瞬間に、大爆発が起こり、この宇宙が誕生した。

 それが、「インフレーション宇宙論」と呼ばれる 最先端の科学理論です。

 では、そのインフレーション爆発の直後何が起こったか。

 この宇宙は、フォトン、光子に満たされ、光り輝く状態になったと言われています。

 それが、現代科学が解き明かしつつある、宇宙創世の姿です。

 しかし、この科学の理論を聞いていると、我々は、不思議な感覚に包まれます。

 なぜなら、我々は、旧約聖書・創世記において、天地創造の最初に語られた言葉を、思い出すからです。

 「光あれ」

 その言葉を、思い出すからです。

 そして、仏教の般若心経の言葉を思い出すからです。

 「空即是色」

 この世界のすべては、「空」から生まれた。
 その仏教の教えを思い出すからです。

 この現代科学と古代宗教の不思議な一致。

 そのことを知るとき、我々は、静かな驚きとともに、密かな安堵を覚えます。

 それは、なぜなのでしょうか。


&の気持ち?最近kodoさんとchatしてて安堵の気持ちをおぼえてるで〜〜〜ほんま!!



Episode20


「ロボット1体完成」


自分の言葉で自分のことをちゃんと表現するのは、「素直」にならないとできないことだもんね。

自分の信念は曲げないとゆー意味でのプライドは保ちつつ、余計なこだわりを捨てて「素直」になる
これって、素直じゃないヒトにとってはとても難しいことと思うのです。

「みんなと一緒じゃないと安心できない」「みんな やってるから」
みんな・みんな・みんな・・・・・「みんな」っていったい誰なんだろうね。

 
人懐っこくていつも元気で明るい・・・・・人ばかりではないのに、全ての人にそれをもとめられていて、そうではないと仲間はずれにされる。
だから「みんなと一緒」とゆー安心を得るために、自分から逃げるために、自分ではない誰かを「演じる」。
演じてばかりだと、そのうち心が壊れて何も感じなくなる。ロボット1体完成。
 
「いろいろあって ぜんぶいい」
これは、ひとの個性には認可されていないんだよね、現代日本では、たぶん。
いつも元気で、いつもハキハキ明るくて、いつもニコニコ笑顔満開。
そんなの不自然だよ。
 
日々いろんな出会いをして感動して、うきうきワクワクしたり、心を揺さぶられる出来事に涙したり、深く考えたり、
友達と意見交換したりしてるのに、いつもおんなじでいるなんて不自然極まりない。
ちゃんと理解して自分のものにするには、少し時間がかかるもんなのよ。
これが、多感で繊細な子どもたちなら尚更のことだと思うよ。
プラスαで、表現する=言葉にするのが苦手な子は、いったいどーすりゃいいのさ?世間よ!



今回の声はある女性からの心の声を了解を頂いて転記させていただきました。

彼女のゆってることってすごく大事なことだとおもうんよ!
みんな忙しさにかまかけてほんとの自分じゃない自分を演じてる。。。。わかるわ〜〜〜!
すこし時間の余裕があれば!と思うんやけどな〜〜〜!いそがしすぎるのよね!多分。。。。




Episode19



「 薄羽蜻蛉 」


現状維持は 退化の兆し

進化の流れ かくも激しく

現状とは かくも儚く 薄羽蜻蛉


下手の考え休むに似たり

しかし 熟慮は動機の羅針

何が見えるか 否 何を見るのか


現状維持は 退化の兆し

進化の流れ かくも激しく

現状とは かくも儚く 薄羽蜻蛉


かくも儚く 薄羽蜻蛉


日々進化 残された道は日々進化 やんな〜〜〜「ハイ(^。^)(リンちゃん風)」


Episode18


「眠れるドラゴン」


デザイナーなり、クリエイターなりのポジションに身を置く者は、クオリティやテクニックや納期なども重要だが。。。。

一番大事な要素は「何をデザインし、何をクリエイトするのか?」という、自問自答的な精神論が必要だと思われる。

何でも構わないならば、何でも構わないのだ。
あってもなくても良いならば、なくて良いのだ。
現状に満足しているならば、何も生み出す必要はないのだ。

世の中には不要な物が大半を占めている。

それは無節操な発想から生まれた、塵や芥の類が溢れているからだ。

それに自らが加担する必要は一切ないと考えられる。

すべての創作物は、他者に何かを与えるために存在するべきだ。
すべての創作物は、他者に影響を及ぼすために存在するべきだ。
良い影響でも悪い影響でも、どちらでも構わないと考える。
すべての創作物には、制作サイドの熱い魂が込められているべきだ。

魂が震えたとき、人は感動する。

夜明け前が一番暗い。

だが、明けない夜などない。

地球上で最も優秀なコンピュータを起動せずにおられようか。

それは、この文章を読んでいる者の頭の中に。

そこには、眠れるドラゴンが横臥している。


ボキの中のドラゴンはどんなやつなのだろうか?
いっつも感動してまんねん。。。ボキって( ;^^)ヘ..     ひゃひゃひゃ!ひゅ〜〜〜!



Episode17



「もう一人の自分 」


 世界中で多くの役者が学ぶ俳優術として知られる「スタニスラフスキー・システム」

 その創案者であり、ソビエトの演出家でもあったコンスタンティン・スタニスラフスキーが、次の言葉を残しています。


 悪人を演ずるときは、その善いところを探せ。
 老人を演ずるときは、その若いところを探せ。
 若者を演ずるときは、その老いたところを探せ。


 俳優が劇中の人物を演じるときの心得を語ったこの逆説的で、洞察的な言葉。

 この言葉を読むとき、それが、俳優術を語った言葉ではないことに気がつきます。

 なぜなら、

 もし、人生というものが「一つの物語」であり、我々が、その物語の「主人公」であるならば、その素晴らしき物語を演じるために、この言葉は、深い意味を持つからです。


 もし、理想を求めて歩みたいのであれば、自分の中の現実主義者の部分を見つめる。

 もし、他者を愛して生きたいのであれば、自分の心の奥深くに潜む憎悪を見つめる。

 そのとき、我々は、自分の中のもう一人の自分に気がつき、その自分との対話を始めることができるのでしょう。

 このスタニスラフスキーの言葉は、そのことを教えてくれているのかもしれません。


そうなんよ!今対話を始めちゃってる自分がここにおんねんな〜〜〜May be?




Episode16

「Life has no meaning」
年々、自殺者が増えているという。
昨今の経済不況などもその要因のひとつだろうが、突き詰めれば、人生に意味を見出せない人間が増えている、ということだろう。

そこで自分は「Life has no meaning」といいたい。
そもそも人生に意味などひとつもない、ということを。

「宿命とは、この世に生まれてきたことと生きているということだ」
某TVドラマでこんなコピーがあったが、まさしく、その通りだと感じた。

「生まれてきたからには、いずれ死ぬだけ」
なぜ、これほど単純で確実なことを理解できないのだろう?
「幸せになりたい」と望む者がいるが、幸せとは、職業やポジションではなく感じるものだ。したがって、なれるはずがないのだ。

死へのプロセスにおいて、人は悩み続け、無駄だと思える時間を浪費する。
前進するということは、死へと確実に歩を進めているだけに過ぎない。

人間は悩むのが当然であり、生きている限りその呪縛からは逃れられない。
にも関わらず、悩みがあること自体を悪いことだと誤解してしまい、無理矢理にでも解決を試みた結果、絶対的に確実な要素を欲し、宗教などに依存してしまう。

以前から何度も綴っているが、絶対的に確実な要素は「死」以外に存在しない。
悩みの呪縛から逃れるために、能動的に自ら死を選択することは、自分としては、非常に愚かしいことのように感じる。

「どうせいずれ死ぬのに、なんで自分から選んじゃう訳?」

自殺願望者の掲示板や呪い依頼の掲示板などがあるという。
自殺願望者は、自らの存在を否定するのが最終目的なのだから、わざわざ掲示板なりで自らの存在を証明する必要はない。
また、仲間を募る必要もない。さっさとひとりでお逝きなさい。

誰それを呪い殺してくれと依頼する者には「人を呪わば穴ふたつ」という言葉を贈りたい。
因果応報の理通り、人を呪う者もまた誰かに呪われるのだ。
あらかじめ、墓穴はふたつ掘っておきなさい。

人は、自らのあずかり知らぬ潮流に翻弄され、大海原を木の葉のように漂流しているだけだ。
ただひとつ、自らの意思によって決定できることがあるとすれば「いかに生きるべきか」を問う前に「いかに死ぬべきか」を思考し、体現することだけだと感じている。

Life has no meaning

この真偽のほどを確かめるためにも生きるほかあるまい(ニヤリ)


そうなんよ!山にいってみ〜〜!腐るのん早いから・・・人間なんてちっぽけだってわかるよ〜〜〜



Episode15

「自然体と無心と贅沢と」

物事を深く考えることから離れて久しいような気がする。
環境がそうさせているのか、果ては能動的な意思によるものか…それすら判断できない。ゆえに時折こうして能書きを綴る。

「自然体」という言葉を耳にした。一般的な中年サラリーマンの弁だ。
「無心」という言葉をキーワードに据えた。

「自分も仕事で営業をやってるんですが、取引先で『自然体』でいられないんですよ。自然体でいるほうがスムーズに進むことは分かっているんですが…」

変にギクシャクしてしまったり、気まずい雰囲気になってしまったりするのだという。次に質問。
「こういう商売をしているときって『自然体』ですか?」しばし躊躇。その間コンマ何秒の世界。

「抱えている背景によってアプローチが変わるのは当然だと思うんですよ。『自然体』は『理想』なんでしょうね(笑)」
「や、極々自然体に見えますよ〜」
「アハハハ、何にも考えてない証拠ですね(笑)」

やれノルマだの営業成績だの… 自分のあずかり知らない部分で動いている背景があると、自分の意思のみによっては行動できない。
自分の一存ではすべてを判断できないわけですよね。
期待やプレッシャーのギュウギュウ詰めの缶詰の中で、肩肘を張ってしまったり、無理な力の入れ方をしてしまう。
そもそも自然体から遠ざかった部分で行動してると思うんですよ。

例えば「無心」。「無心になろう」と念じた時点で既に無ではないわけで…兎にも角にも、パラドックス。世の中、矛盾だらけですわ(笑)

中年サラリーマンは大きく頷きながらメガネの奥のうつろな目を閉じた。
ま、飲みましょう、と彼のグラスに自分のグラスをカチンと当てた。

サラリーマンという生き方。自分は肯定的でも否定的でもない。
収入の方法手段に差異はあれど、大別すれば皆一様に「サラリーマン」だ。

月極単位で収支をコントロールし、次月へと進むだけ。
前月の繰越金が残れば黒字。逆に足らなければ赤字。
資本主義の世の中において、行政の定めるところの貨幣制度に則って、死ぬまでそれを繰り返しているだけに過ぎない。

生活を営むために金銭で縛られている時点で、既に「自然体」ではない。
世の中の大半の人が自然体でいられないのは当然のことだと感じる。

それぞれの幸福の定義によってその判断は難しいが、金銭の多寡で幸福の度合いが変わってくるといっても過言ではない。

金銭で得られる幸福は、価格が設定されている以上、確実に金銭で得られる。
設定金額が低額か高額かで、買える人と買えない人とに分かれるだけだ。

金銭で得られる幸福には、正直、余り興味がない。羨望や憧憬の念も抱かない。他人の価値観に流されるつもりはないからだ。

「『グルメ』だとかっては、どーなんスかね〜?」と、ノーゲストで暇な時間にオーナーに訊いたことがあった。
「どうせクソやションベンになってまうもんに大枚はたくってのはねぃ〜ま、今のオイラにゃ無理なんスが…(苦笑)」
彼は腕組みをしながらフフンと鼻で笑って、「一番の贅沢は飲食にゼニ惜しまねえことだよ」と。

「家にしてもクルマにしても、何か形に残そうとするものにゼニつぎ込むのは本当の贅沢じゃねえな」

彼は続ける。

「どうせ死んじまうわけだから残したってしょうがねえじゃねえか?ウマイもん喰ってウマイ酒飲んでクソして寝る! これが一番の贅沢!」

今の自分にとって贅沢は夢のまた夢のようだ。
まっ、飲んじゃうべき♪ 無心に(笑)

そうなんよな〜〜ふふふ


Episode14


 「歴史」が幕を開けるとき

 すでに「過去」となりつつある、20世紀。
 「戦争の世紀」と呼ばれたその時代を回顧するドキュメンタリー・フィルムを観ました。

 そのなかで、最も心に残ったのは、第二次世界大戦。
 アウシュビッツ、ゲルニカ、硫黄島、広島、長崎・・・。

 それらの映像の中に映し出される無数の人々の、極限の生。

 世界中が戦いの渦に巻き込まれ、6500万の人々が命を失った。

 この戦争の記録を観るとき、一つの問いが心に浮かびます。

 あの無数の人々が、いまの我々を見るならば、何を思うだろうか。

 平和に慣れ、豊かさを当然と思い、他者の悲惨に無感覚になっているいまの我々を見るならば、はたして、何を思うだろうか。

 そのことを考えるとき、一つの言葉が心に浮かんできます。

 人類の「前史」

 未だ、我々は、戦争と貧困に苦しむ人類の「前史」の時代を歩んでいる。

 では、人類の本当の歴史は、いつ始まるのか。

 それは、我々が、一つの真実に気がついたときでしょう。

 あの無数の人々の姿は、我々自身の姿である。

 そのことに気づいたとき、我々の本当の歴史がその幕を開けるのでしょう。


たしかにね〜〜〜人間というのは愚かなもんよの〜〜それでもわからへんのよこれが、、、




Episode13

司馬遼太郎の「人斬り以蔵」を拝読。

人斬り以蔵とは、自己流の暗殺剣法を編み出し、盲目的な殺し屋として幕末の世を震撼させた岡田以蔵のことだ。

この本には、日本陸軍建軍の祖といわれた大村益次郎の半生を綴った「鬼謀の人」ほか、
「割って、城を」「おお、大砲」「言い触らし団右衛門」など、時代の変革期を生きた人間の内面を鋭く抉った短編全8編が収録されている。

短編なので肩肘張らずに読み進められるが、普段、見慣れないコトバを見つけると、辞書サイトを利用しては意味を調べ、世界観の理解に努めた。

こうした読書の方法は小学生の頃から変わらない。分からないことを分からないで済ますと、知る機会と知ろうとする覇気を失う。

その中に「衆道(しゅどう)」というコトバがあった。
「若衆道(わかしゅどう)」「若道(にゃくどう)」。つまり、男色。ゲイのことを差すそうだ。

ゲイやホモを一緒くたにするつもりはないが、自分はどうやら精神的にホモであるような気がする。肉体的には圧倒的に女性好きだが…

「男は頭で考え、女は子宮で考える」といわれるが、これは言い得て妙だと痛感する。
女性に理論的な話を理解させるのは容易ではない。その行程そのものが厄介でならない…

男同士の場合、理論が通じないときには、いよいよ暴力に訴えるという野蛮な選択肢もあるが、女性の場合にそれは選べない。
手を変え品を変え、あれやこれやと弁を尽くすが、一向に聞き入れられない。

「イヤなものはイヤなの!」 何たる理論だろうか… 脈絡がまるでない。この手の言い争いではだんまりを決め込むほうが無難なようだ。
だが、事態は何も解決していない。分からないことを分からないで済ますと、知る機会と知ろうとする覇気を失う。

だが、ふとした瞬間に「こないだはゴメンね」的に下りてきたりするのだから、まったくもって理解に苦しむ…
あるいは、この手のやり取りに辟易として男色に走る者がいるのだろう。

「人斬り以蔵」を読んで、なぜ、このような考えが生まれたかというと、所謂「主従関係」には、このホモ的な要素が含まれているのでは? ということからだ。

人格やその他の要素など、その人に対して尊敬の念を抱いたとき男はそれに屈服し、従おうとする。そこには白いカラスも当然の如く存在する。

「一生懸命」とは「一所懸命」から転じたコトバで「主君から預かり受けた領地(一所)を命懸けで守る」という意味だ。
男は惚れた男のために死ねる覚悟があるということだ。

無学の所為か、女性版のこの手の話を聞いたことがない。惚れた男のために死ねる女はいても、惚れた女のために死ねる女はいないだろう。

女は浅ましい。男の大志を酌み取る理解力に乏しい。ただ、男尊女卑の考えからではない。
所詮、男は女の股から出てきた卑しい存在。そうした事実から目を逸らすためにあれこれと武装し、虚勢を張るのだ。

理解されない苦しみは、理解できない苦しみより苦しい…
以蔵、叩き斬れ!(苦笑)


ほんまそうおもうわ!人間って生き物は、、、



Episode12



 「歴史」が幕を開けるとき

 すでに「過去」となりつつある、20世紀。
 「戦争の世紀」と呼ばれたその時代を回顧するドキュメンタリー・フィルムを観ました。

 そのなかで、最も心に残ったのは、第二次世界大戦。
 アウシュビッツ、ゲルニカ、硫黄島、広島、長崎・・・。

 それらの映像の中に映し出される無数の人々の、極限の生。

 世界中が戦いの渦に巻き込まれ、6500万の人々が命を失った。

 この戦争の記録を観るとき、一つの問いが心に浮かびます。

 あの無数の人々が、いまの我々を見るならば、何を思うだろうか。

 平和に慣れ、豊かさを当然と思い、他者の悲惨に無感覚になっているいまの我々を見るならば、はたして、何を思うだろうか。

 そのことを考えるとき、一つの言葉が心に浮かんできます。


 人類の「前史」


 未だ、我々は、戦争と貧困に苦しむ人類の「前史」の時代を歩んでいる。

 では、人類の本当の歴史は、いつ始まるのか。

 それは、我々が、一つの真実に気がついたときでしょう。

 あの無数の人々の姿は、我々自身の姿である。

 そのことに気づいたとき、

 我々の本当の歴史が、その幕を開けるのでしょう。


時代を動かすのはいつの時代も個人です。国家ではないのよ。。ブッシュ君



Episode11


「世界の奥行」

 右目を閉じて世界を見ます。

 左目を閉じて世界を見ます。

 そのとき、右目で見える世界と左目で見える世界が、違った形であることに気がつきます。

 そして、 違った色であることに気がつきます。

 わずか数センチ離れただけの右目と左目でさえ、見えている世界は、違う。

 そうであるならば、自分から見えている世界と他人から見えている世界は どれほど違うのでしょうか。

 その違いの大きさを思うとき、我々は、そこに一つの逆説があることに、気がつきます。


 右目と左目の世界が違うからこそ、我々は、世界の奥行を知ることができる。

 そして 自分と他人の世界が違うからこそ、我々は、世界の深みを知ることができる。

 その逆説に、気がつくのです。


これがなかなかわからんのよねん



Episode10



もしも君達がなくし物をして それがどうしても見つからなかったら 富良野に探しに戻っていらっしゃい
残雪の溶けた塾地のぬかるみに君らの探し物はころがっているはずだ

もしも君達が都会の夜の底 ネオンがまぶしくて 道に迷ったら
闇の中に立ち 星を見るといい
天の川の下に 八幡丘の道 道なりに行けば古別小学校の前に出る

もしも君達が暮らしに疲れ 夢も目的も忘れ 流され始めたら
古別川の流れを思い出せ
とうとうと流れる大河ではなく その源流の塾を流れていた そのささやかな流れを

もしも君達が 走ることを忘れたら 古別の農道を思い出しなさい
そこに まだ今も 足を引きずって はしりつずけている仲間がいることを
夢を持つことは 君達を走らせ 走る苦しさは 君達を止まらせる

もしも君達が ここで持っていた夢を捨て 走らなくていい楽な夢を上るなら
富良野のことは もう忘れなさい
僕はそのことを軽蔑しようとは思わない
しかし それでも どこにあっても 感動ということだけは忘れないでほしい
感動を作るものは 走らなければならず
感動を得るだけなら 座しても可能だ

走るか座るか覚悟を決めなさい
そして 
もし君達が ある日突然 暫く忘れていた感動を思い出し
胸の奥から涙がつきあげたら
いつでも富良野に帰ってらっしゃい

座して見るものとは お茶でも飲もう
走っているものとは 酒を酌み交わそう
俺達はここにいて ずっと走ってる

いってらっしゃい


余裕のある人間の言葉やね 我もそうありたものや



Episode9


かけがえのない「時」


 「生」を真に意味あるものとするためには、「死」を深く見つめなければならない。

 いかに短いものであっても、 我々に与えられた「いのち」は、まぎれもなく「奇跡」である。

 我々は、「死の宣告」から目を背けるために、日々の営みに埋没していく。

 「時」は過ぎていく。

 手の平から砂が零れ落ちるように、かけがえのない「時」は去っていく。

 この瞬きするほどの短い「時」のなかで、 奇跡のごとく巡り会った人々との深き「縁」。

心にしみるわ。。。ほんま




Episode8


「 掌 」

掌に刻まれたいびつな曲線
何らかの意味を持って生まれてきた証
僕らなら求め合う寂しい動物肩を寄せるようにして愛を歌っている

抱いたはずが突き飛ばして  包むはずが切り刻んで 撫でるつもりが引っ掻いて また愛求める
分かり合えた振りしたって 僕らは違った個体で だけど1つになりたくて 暗闇で もがいて もがいている

ステッカーにして貼られた本物の印 だけどそう主張している方が偽物に見える
僕らならこんな風な袋小路に今も迷い込んだまま抜け出せずにいる

夢見てるから儚くて 探すから見つからなくて 欲しがるから手に入んなくて途方に暮れる
どこで間違ったかなんて 考えてる暇もなくて
でも答えがなきゃ不安で

君は君で僕は僕 そんな当たり前のこと
何でこんなにも簡単に僕ら 見失ってしまえるんだろう

1つにならなくていいよ認め合うことができればさ
もちろん投げやりじゃなくて認め合うことができるから
1つにならなくていいよ価値観も理念も宗教もさ
1つにならなくていいよ認め合うことができるから
それで素晴しい

キスしながら唾を吐いて 舐めるつもりが噛み付いて着せたつもりが引き裂いて また愛求める
1つにならなくていいよ 認め合えばそれでいいよ それだけが僕らの前の暗闇を優しく散らして 
光を降らして与えてくれる

今度はミスチルやけどね


Episode7


「海」

俺の背中で 力果てた お前の指がすべりおち
ゆっくりとゆっくりと シェードランプに灯をともす

白い肌が 悲しいほどに シーツに溶けてくお前の顔ひきよせて そっと口づけた

 俺は今 月が落ちた波打ち際に立ち 愛する覚悟を 一歩ずつ ふみしめている
 「嘘だろう?」ってあの時 聞けなかったのは 互いの寂しさを 分かってたからだ

夜の海に 俺の過去を 沈めたら 明日から お前と 二人で 生きよう


身動きすると 逃げてくように お前は震えた
乱れた髪 俺の両手で 強く受け止めた

握りしめた二つの罪 素っ裸の胸に抱き
23F ホテルの部屋 苦しい夜が降ってた

 俺は今 月が落ちた波打ち際に立ち 愛される覚悟を 一歩ずつ ふみしめている
 こなごなに 砕け散る波のしぶきが舞い あの時の 俺のずるさに 突き刺さる

夜の海に 俺の過去を 沈めたら
明日から お前と 二人で 生きよう

夜の海に 俺の過去を 沈めたら
明日から お前と 二人で 生きよう

長渕イズムなんやけど、、、わかる〜〜〜



Episode6



 不幸な「出会い」

 若き日に政治の世界を志し、代議士になり、 そして、挫折し、自ら命を絶った青年が、
 初めて選挙に出たときに残した、 次のような詩があります。


 今朝、駅前の街頭で、 ビラを渡そうとした私の手を払いのけ、
 目を交わすこともなく、 通り過ぎていったあなたへ。

 私たちの出会いは、 不幸な出会いであったかもしれない。
 けれど、それでも、私は、 あなたと出会えて良かった。

 出会えなかったよりも、 出会えて良かった。

 この詩を読むとき、我々は、 一つの真実に気がつきます。

 良き出会いだけが、 出会いではない。

 本当は、 すべての出会いが、 大切な意味を持っている。

 そのことに 気がつくのです。


わかるかな〜〜〜?


Episode5


「Light or heavy ?」


ある女の子との会話から自分は相当「軽い」人だと思われているらしい。
ある意味、正解!(爆)というより、努めてそうしているのかも知れない。

サイトでも何でも同じことが当てはまるが、良くも悪くもファースト・インプレッションが非常に重要だと考えられる。
そして、第一印象は悪いほうが得だ、という持論がある。

「なんでやねん!?」と思われるかも知れないが、これは性格面での例えだ。

例えば、混雑した電車の中で老人が荷物を持って立っているとする。
前の座席にはコワモテのいかつい兄さんが座っている。
そこで「どうぞ」とその兄さんが席を譲ったら、周囲の人はどのような印象を持つだろうか?
「恐そうな人だけどホントは優しいんだ…」

逆に、見るからに優しい雰囲気の人が彼と同様にしたらどうなるだろうか?

「…」

多分、印象度はまったくといっていいほどない。日常のよく見掛ける光景として掻き消されてしまうだろう。

誰でも最初は初対面だ。
その対面のキッカケがリアルであったり、ヴァーチャルであったり、と大別すると二極するが、それらはそれほど大きな問題ではない。

これは、出会うタイミングがどちらかであるか、というだけの問題に過ぎず、人間のコアな部分ではひとつも過不足はない。必要十分。問題ナッシング!

前述の例の通り、ギャップが必要だと考えられる。
「○○だけどホントは○○である」
否定から入り、肯定に移行する図式。
この流れは、深く胸に染み入り、大脳皮質に刻まれる。

「軽そうな人だけどホントは…」

Light or heavy ?
判断するのは紛れもなく本人自身だ。
自分が抱いた感情が正解であり、感情は常に流転する。

Don't think, feel.
我が魂の命ずるままに───。


まあ、ええんちゃう


Episode4


「心の中」


彼は、彼女が突然心変わりした理由を何となく分かっているつもりだ。

失恋の痛手を癒すために彼女は肉体的な繋がりを求め、彼は精神的な繋がりを求めた。

彼女は何もかも忘れたいがために彼に心を開いた。
だが、彼はそれに応えることができなかった。
彼女の傷ついた理由が肉体に関わることだったから彼は躊躇した。
本能の赴くままに彼女を抱くことができなかった。

彼は精神的な優しさをもって癒そうとしたが、それは逆に彼女を追いつめ負担となった。
歯車がかみ合わず、すれ違い、食い違い、一方通行…
ただ、すべては言い訳に過ぎないのだろう。
肝心なときに抱けない彼が悪いのだ。

客観的に見れば馬鹿な男と可哀想な女の戯れ言。
だが、彼の胸はしめつけられるほど苦しいという。

10年連れ添った女と別れ、住むところを変え、仕事を変え、心を開いて語り合える人が彼の周りにはいないという。
彼が精神的な繋がりを求めたのは、そういった環境の変化もあるだろう。
虚飾で彩られた世界に身を置く彼としては、嘘や偽りのない素直な心で触れ合う喜びを求めたのだろう。

彼は知っている。
失恋の痛手を癒すものは新たな恋愛でしかなく、ひとりでは解決できない問題だということを。
ひとりでいると、自分のわがままさや身勝手さに気付かない。
それらは相手がいてはじめて実感できるものだ。

自分の内面を見つめるに足る、余りにも多くの人が彼の前を通り過ぎていったという。

自分が選んだ相手は、自分の内面を映す鏡だ。
自分の内面がすべてそのまま映し出される。
だから、彼の胸はしめつけられるほど苦しいのだろう。
彼女のわがままさや身勝手さを感じて、彼自身の中にもそういった要素があることにはじめて気付かされたからだ。

彼と彼女が再会したとき、互いに違和感を覚えながらも口に出せなかったのは、互いの寂しさを分かってたからだ。
世の中に偶然は何ひとつ存在しない。すべては原因と結果。必然だ。
彼と彼女は互いの寂しさを埋めるために再会した。
彼は、そう信じている。

壊れた心のジグソーパズルを埋める最後のワンピース。
彼は、それを共有できると信じている。
そして、彼は今でも彼女を愛している。

傷つけば傷つくほど、人は磨かれ優しくなれる。


実際こんな感じやね


iEpisode3


「日々を生きるということ」


多分、小利口な諸君らは、あれもこれもと様々な思いを馳せているに違いないが、日々を生きるということに頓着することを提言したい。

自分が常日頃から曰っている文言として「どうせ死ぬ」という文言があるが、これはすこぶる真実であり、確実な現象だ。
ハタチ過ぎれば、老いさらばえてゆくのみ。進化は有り得ない。経験則から来る能書きによって、優劣などをほざくだけだ。

ただ、自分としては、年上だからという前に、同じ人間だからというベクトルの方が圧倒的に強い。
ゆえに、年少者にもフラットなポジションで、いわば、対等なスタンスとベクトルで臨める。その方が圧倒的にオモロイ話が聞けるのも事実だ。

諸兄らに伝えたいことは、アホなアニキ、もしくはアネゴを持とう、いうことだ。

心を許す許さないの問題以前に、アホな輩をどれだけ知っているか、ということが大いに左右すると思われる。
手前の心など、心底許していないアホに晒す必要は微塵もないが、知っているのと知っていないのとでは、考え方の方向性として、まったく異なってくる。
通り一辺倒な杓子からは、ソウルフルな発想は生まれ得ない。
ビシビシとその場の雰囲気、空気を感じながら得られる、活きた情報の方が、何より自然であるし、真実だ。

五感を研ぎ澄ませ。そして、活きた己の咆哮を晒せ。

死に行く前に確実に生きているという証を魂に刻め!


ま。なんとなく、やけど


Episode2


「コンステレーションを感じる力」


都会を離れ、大自然の中で夜空を見上げます。

そこには、無数の星が瞬いています。

そして、それらの無数の星の中で、ひときわ輝いて見える星々が、
美しい「星座」を形づくっています。

例えば、冬の空に輝く「オリオン座」。
夏の夜に輝く「さそり座」。

子供の頃、星座盤を使って学んだ様々な「星座」。
それらの「星座」には、それぞれに興味深い「物語」があります。

例えば、「さそり座」が東の空に昇ってくる夏の季節が近づくと、
「オリオン座」は、逃げるようにして、西の地平線に消えていく。
それは、ギリシア神話の巨人オリオンが、
さそりの毒で命を落とした物語です。

しかし、この「星座」とは、不思議なものです。
なぜなら、その「星座」を形成している星々は、
実は、何十光年、何百光年も離れた場所にある恒星であり、
互いに何の関係もない星々だからです。

しかし、夜空に、こうした「星座」を見ることが、
我々の夜のひとときを、味わい深いものにしてくれます。

そして、それは、夜空だけではありません。

一見、何の関係も無い物事の中に、
何かの「関係」を見出し、
確かな「意味」を感じとり、
大切な「物語」を読みとる。

そのことが、我々の生を、味わい深いものにしてくれるようです。

人生の様々な出来事の中から、
「関係」や「意味」や「物語」を紡ぎだす力。

それが、心理学の分野で言われる、「布置」を感じる力です。

そして、この「星座」と「布置」。
いずれも、英語で
「コンステレーション」と呼ばれるものなのです。


しぶいね実際


Episode1


「一隅を照らす光」


 仕事をしていて、ふと思うときがあります。


 このささやかな仕事が、はたして、
 世の中のためになっているのだろうか。


 そう思うとき、いつも心に浮かぶ言葉があります。


 一隅を照らす、これ国宝なり。


 伝教大師、最澄の言葉。
 この言葉は、
 社会の片隅で、思いを込め、願いを込め、
 ささやかな仕事に取り組む我々を、
 ときに、深く励ましてくれます。

 そして、
 この言葉を、静かに見つめるとき、
 この古い言葉が、これからのネット社会において、
 新しい意味を獲得していくことを予感します。

 なぜなら、ネット社会においては、
 社会の片隅の、たった一人の営みであっても、
 それが、人々の共鳴と共感を得るものであるならば、
 瞬時に、ネットワークを通じて多くの人々に伝わり、
 社会全体に、大きな影響を与えるからです。

 そのことを考えるとき、我々は、
 この最澄の言葉が、
 新しい時代において、
 新しい意味を獲得することを、予感するのです。


 一隅を照らす、これ国宝なり。
 そして、ときに、
 その小さな光が、
 世界のすべてを照らし出す。


こうなったらやるしかないやん


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